泡沫

どうも、とりあえず自分の好きなものについて適当に語るだけの簡単なブログです。暇な人や物好きは見てってね。

トランスフォーマーの名称について

トランスフォーマーの名称が海外版基準になって、随分経つが、やはり個人的にはやっぱりサイバトロン・デストロンコンボイの方がしっくりくるなぁとつくづく思う。

無論、子供の時からずっとそれで育ってきたというのも大きいが、やっぱりオートボットディセプティコンオプティマスプライムだと言いにくいよなぁと思う。 

ぶっちゃけ、アニメで一作限定でもいいから日本語名義を復活させましょうぜ、タカトミさん。(一部アメコミでは日本語表記だったりするけど。

ラーメンと餃子と炒飯の組み合わせがない最近のラーメン屋。

私はラーメンが大好物なのだが、昔からサイドメニューとして餃子と炒飯を頼むことをしている(カロリーは気にしてはいけない。)。だが、最近のラーメン屋ではどちらか片方しかなかったり、そもそも餃子や炒飯を扱っていない店が増えてきたなぁとどうにも感じてしまう次第、もちろんコストや手間など様々理由があるのは分かるのだが、やっぱり昔から親しんできた組み合わせが食べられなくなってしまうのはやっぱり寂しいと感じる今日この頃である。 

(完)

ウルトラマンと防衛チーム問題について

一昔前はウルトラマンといえば怪獣が起こす怪事件や異常現象を防衛チームが捜査し、暴れだした怪獣を彼らとウルトラマンが倒すという話が主流だったが、2013年以降のウルトラマンギンガから始まるニュージェネーションヒーローズ(通称ニュージェネ)では、2015年のウルトラマンX以降、本格的な防衛チームやライドメカが出なくなっている。勿論、2クールという短い尺や限られている予算の中で(昔の円谷は予算の使い過ぎで会社を潰しかけたのは有名な話である)防衛チームを出すだけの余裕がないのは分かるし、メイン視聴者層の子供たちがウルトラマンのカッコいい活躍を求めていることは十分承知しているし、それを否定をするつもりは毛頭ない。(私自身も今のウルトラに不満はたくさんあっても、楽しめる部分はちゃんと楽しみたいと考えている。) 

ただ、やはり昔からウルトラマンの魅力の一つが防衛チームの活躍とカッコいいメカニックだと思っている身としては、どうにも歯痒いと言わざるを得ないのも事実である。 防衛チームが出ない主な理由としては先ほどの尺や予算の都合や作風のマンネリ防止というのもあるだろうが、やはりウルトラマンエックスの防衛チームXIOの玩具の売り上げが悪かったということが大きな理由なのは明白である。 

これについては、時代の変化や少子化とともに、子供向けヒーロー番組の玩具の主体が変身アイテムやそれに関連するアイテムなどの俗にいうアイテムコレクション商法に移行し、子供たちが以前のように銃や戦闘機のオモチャには興味を示さなくなったことが主な理由の一つだろう。 

無論、これについても時代の流れもあるし、アイテムコレクション商法も根付いて久しいので、この是非をここで問うようなことはしない。 

しかし、防衛チームが出なくなった影響で、従来のシリーズでは違和感なく描かれていた人間たちの活躍があまり見られなくなったのもまた事実である。 

2016年のウルトラマンオーブ以降、怪獣が出現すると主人公はすぐにウルトラマンに変身し、怪獣に立ち向かうのだが、その間に人間たちはウルトラマンの活躍を眺めたり応援するのがほとんどで(怪獣の弱点をウルトラマンに教えるといったようなことはあるが)、以前の防衛チームのように怪獣に攻撃してウルトラマンのピンチを救ったり、ウルトラマンに頼らずに自力で怪獣を倒すというような展開はまず見られなくなった。 

この点については明らかに防衛チームがいたころの方が良かったと言わざるを得ない。 

また、怪獣という未知の脅威が出現する世界観の中、従来の作品では国際機関である防衛チームが対処していた中で、オーブ以降の作品ではウルトラマンが対処するばかりで政府などの行政機関の動きはほとんど見られず、そういった点でも個人的には非常に違和感がある。(一応、ウルトラマンルーブでは政府機関が怪獣の調査などをしている描写はあったりしたが) 

勿論、防衛チームが出ないことで作風の幅が広がったという意見も分からなくはないのだが、やはり作品面でのリアリティを考えると防衛チームは出さずとも自衛隊の戦車や戦闘機が怪獣に攻撃をするくらいの描写は欲しいものである(まぁ、現実的にいろいろと問題になりそうなのでまず実現しないだろうが)。 

後は、小さい頃から平成3部作のメカニックのオモチャが欲しくて仕方なかった身としては、どうしてもライドメカを復活してほしいものなのだが、先述の通り、ウルトラマンエックスのライドメカスカイマスケッティの売り上げが非常に悪かったため(車と合体するというアイデアは予算面の節約も含めて画期的で面白いアイデアだとは思うがデザインをもう少しカッコよくして欲しかった)復活はまず絶望的であり、ウルトラマンの魅力といえばカッコいいメカニックと思っている身としては非常に残念な気持ちである。(やはりウルトラマンでメカを売るためにはグリッドマンみたいにメカ自体をウルトラマンの武器にしたり、合体させたりするしかないのだろうが、スーパー戦隊シリーズの合体ロボと被ってしまうので、まず実現はしないだろう。) 

このように現在のウルトラマンに防衛チームが登場しないことについて個人的な考えを述べてきたが、やはりウルトラマンに頼らず自分たちの力で地球を守っていくというのがウルトラマンの根幹のテーマであり、防衛チームがいない現状ではそのテーマが守られているとは到底言えないのが個人的な意見である。私としてはもう一度防衛チームの活躍やカッコいいライドメカを見たいという気持ちは強くあるし、これからも持ち続けるだろう。 (もっとも個人的なファンの意見が通れば、防衛チームやライドメカ復活だけでなく、完全独立世界観や全話新怪獣、4クール放送はとっくに復活しているだろう)

だが、現段階ではウルトラマンは勿論、怪獣や悪役にスポットを当てた企画はあっても、過去作の防衛チームやライドメカにはほとんど焦点が当たらないのが現実であり、円谷上層部やバンダイが防衛チームをウルトラマン本編に出すつもりが全くないのが伝わってきてしまうのがとても辛いが、田口清隆監督を始めとしたスタッフ陣は防衛チームを出したいと公言している人も決して少なくなく、X以降の作品もオーブのビートル隊を始めとして、何らかの組織が必ず登場している(現行作品のタイガでも主人公が所属する民間警護会社が登場している)のはせめてもの救いともいえるかもしれない。 

個人的には2021年公開予定のシン・ウルトラマンには間違いなく防衛チームが出ると思われるので(製作者の庵野秀明氏は根っからの昭和ウルトラマニアである)、この作品が大成功をおさめ、多少なりともTV本編に影響を与えることを期待したいところではある。(無論、あくまで希望的観測だが。) 

ここに至るまで、長々とウルトラマンと防衛チームのことについて書いてきたが、もちろん今の作品には今の作品の良さもあるし、私はそれを楽しむのが一番だと考えているが、やはりいつの日かTVのウルトラマンに防衛チームの活躍とカッコいいライドメカが復活し、ウルトラマンとともに怪獣に立ち向かう光景を再び見れると強く願っている。 

(完)

 

ウルトラマンティガの神回にして異色回、うたかたの…。

私がウルトラマンティガで一番好きな話は第28話「うたかたの…」である。 

この話はセカンド・コンタクトや幻の疾走から始まる、クリッターやガゾートを巡る話の完結編であり、鬼才川崎郷太監督が、監督・特技監督・脚本をすべて務めた意欲作だ。(平成ウルトラマンでは本編監督が特技監督を兼ねることは珍しくないが、脚本まで書いたのは未だに川崎氏のみである。) 

この話はクリッター殲滅作戦に追われるGUTSが同時に突如現れた怪獣ジョバリエにも対応しなければならない、二重苦の中で、GUTS隊員最年少で実戦経験の浅いヤズミとシンジョウの妹であり恋人のタクマをガゾートに殺されたマユミの二人をメインとして描かれている。

そしてこのうたかたの…では、セカンドコンタクトで示された怪獣との共存、平和のためという口実で武装を強化することへの疑問、怪獣は何故現れるのか、ウルトラマンは何故戦うのか、決して長くない本編の中で、これだけの多くのテーマを詰め込み、視聴する人たち皆に問題提起を促す、ある意味では問題作ともいえる作りとなっている。 

クリッター殲滅に対するGUTS間での対立、自分がティガとして戦う理由について苦悩するダイゴ、TPC武装論を振りまきながらも実際の戦場とのギャップに恐怖を覚えるヤズミとその考えを批判するマユミとのぶつかり合い。  

僅か一話の中でこれだけの課題を盛り込んでいながら、この回で異色といえるのはあえてそれらの問いに対して明確な答えを示さないところだろう。 

クリッター殲滅作戦決行時に、クリッターの群れに対して攻撃を仕掛けるレナたちだったが、その攻撃は外れ、さらにクリッターは遥か宇宙への彼方へと去っていく。 

レナはその理由をクリッターたちが人類に愛想をつかしたのだと推察するが、それはあくまでレナの個人的な考えにしかすぎず、クリッターたちが地球を去った本当の理由はあくまで不明である。ヤズミとマユミのぶつかり合いもそれ自体が事態を好転させるわけではなく、あくまで二人の個人的な意見の衝突にしかすぎず、彼らは特に分かり合うわけでも和解をする訳でもない。(それでもラストではそんな二人が歩み寄りを始めるという重い中にも希望を持てる終わり方ではあるが) ダイゴの苦悩も最終的に自分自身がウルトラマンとして戦う理由を見つけただけで、ウルトラマン自体が戦わなければならない理由を出したわけでは決してないのだ。長いウルトラシリーズの中で少なからず矛盾を孕みながらも放置されてきた様々な問題点を真正面から付きつけつつも、それに対し意図的に明確な答えは出さず、視聴者に考えを促す、だからこそこのうたかたの…、はティガの話の中でも名作にして問題作という現在でも賛否両論溢れる評価を得ているのだ。

個人的には話の内容ももちろんだが、終盤怪獣ジョバリエが本格的に暴れだす中、主題歌Take Me Higherのイントロが流れ出し、ヤズミがマユミから受けた言葉を思い出し叫びながら走り、ジョバリエに攻撃を始める中、ダイゴが「ティガよ…、何故戦う、何のために戦う…、ティガァァーーーッ!」と叫びながら変身しジョバリエに挑むシーンは、重く鬱屈としたそれまでの展開から一気に解放されるのを感じるとともに、それまでの話では曖昧だったティガとダイゴの意識の関係を、スパークレンスにダイゴが語り掛けティガの名を叫びながら変身することで、明確にダイゴの意識が主体(つまり後の作品でいう人間ウルトラマンである)と定めるという後のシリーズにおいても重要な位置づけとなったシーンや、ジョバリエに追い詰められた中でティガがGUTSメンバーを想起しながらも「これが答えなのか…?この人達を守るためなのか…?仲間だから…?皆が好きだから!!」と自分なりにティガとして戦う理由を見つけ、ウルトラヒートハッグでジョバリエを撃破するシーンは先ほどのTake Me HigherのがBGMとして流れている中で大きなカタルシスを感じられ朝焼けに映るティガの美しさと合わせて、ティガの中でも特に名場面だと思っている。  

そして、戦いが終わったのち、後始末に追われるマユミをヤズミが助け、二人が手を取り合うシーンでこの話は幕を閉じるが、これは先ほどにも言った通り、意見や考えの異なり対立した二人が、完全な和解はしないながらも、お互いに歩み寄り手を取り合って前に進んでいくという、一筋の希望を示しているといえるだろう。 

 

このようにうたかたの…ではそれまでのウルトラマンにおいては放置されていた問題に対して、疑問点を真っ向から付きつけつつもその問題点に対してあえて明確な答えを出さないという異例の構成であり、良くも悪くも平成ウルトラマン始まりの一作であったティガだからこそ出来た話といえるかもしれない。 

それでも、この話で完全に擁立された人間ウルトラマンや怪獣と人間の共存というテーマは、後のシリーズにおいても形を変えながら受け継がれており、そういう意味でもこの回が後の作品に残した影響は決して少ないものではない筈である。 

(完)

 

 

シンプルで野性的な仮面ライダーをやって欲しいなぁ。

最近のライダーを否定したいわけではないが、個人的にはやっぱりどうにもオモチャオモチャしているデザインやギミックには違和感を感じてしまうところがあることは否定できない。無論、昔に比べてバンダイからの販促がキツくなっているのは十分承知しているが、やっぱり咄嗟に変身出来てシンプルなデザインで野性味あふれるライダーも見たいなぁと強く願っているのだ。(まぁ、アマゾンズでやったから当面みられることはないだろうが)、ギルスやアナザーアギト、ZOなどが好きなライダーに入っている辺り、俺はシンプルで武器も使わない、昆虫モチーフの古典的ライダーが好きなおっさん志向なのかもなぁと思ってしまう、今日この頃である。 

 

でも今やってるゼロワンはモチーフが久しぶりのバッタだし、デザインもシンプルなのは嬉しい限りである。

ガタノゾーアとダークザギに見る小中千昭と長谷川圭一の違い。

ウルトラマンのラスボスの中でも特に高い知名度を持っているガタノゾーアとダークザギ。 両者の生みの親はそれぞれ平成ウルトラマンにおいて多大な貢献をした脚本家小中千昭氏と長谷川圭一氏だが、この2体のラスボスから両者の悪に対する違いが個人的には見えてくる気がする。 

ガタノゾーアは超古代都市ルルイエから復活した邪神で、超古代文明を滅ぼした元凶であり、ゴルザを始めとする超古代怪獣の親玉ともいうべき存在だが、ティガ本編においてガタノゾーアが言葉を発するシーンや出自などについて触れられるシーンは全くなく、それ故に底知れぬ不気味さや得体の知れなさがあるが、これは小中千昭氏がクトゥルフ神話を嗜み、ガイアの根源的破滅招来体からも分かるように正体や目的も分からぬ未知の存在を好み、また闇と完全に対になる存在として光があると定義しているものだと個人的には感じる。(ただし小中氏自身もイーヴィルティガを出していることからも分かる通り、必ずしも光=絶対善とは認識してないようでもある。)

一方、ダークザギはM80星雲の来訪者がウルトラマンノアを模して造られた人造巨人だが、それ故にノアに対する嫉妬や劣等感から闇堕ちし、スペースビーストやウルティノイドを操り、ULTRAMAN~ネクサス本編の元凶となった存在だが、ザギの場合、出自から悪に落ちるまでの道を含めて、実に人間的でもあり、これは光を闇を明確に別なものとして定義する小中氏と違い、光と闇は実は表裏一体でありどちらも欠かすことはできないとすることが多い長谷川氏らしいキャラであり、闇落ちの理由にノアに対する人間らしい嫉妬や劣等感があるのも、悪意や欲望が絡み複雑で暗いシナリオを好む彼らしい要素といえるだろう。 

 

このように、小中氏は得体のしれぬ恐怖や未知の存在を好むのに対し、長谷川氏は欲望や悪意など感情が絡むある意味では人間臭いともいえる存在を好んでいるものと個人的に感じる。 

無論、どちらを好むのかは自由ではあるし、自分としても優劣をつけるつもりはない。 

一つだけ言うとすれば、小中千昭長谷川圭一、両者の存在なくして平成ウルトラマンは存在しえなかったということである。 

(長いうえにグダグダな文章失礼しました…。)

東方のスマブラ参戦について

最近、スマブラDLC霊夢が来るんじゃあないかと話題になってたが(実際にはテリー・ボガードだったが)、個人的には東方ファンは苦い顔をするかもしれないが、ありだと思う。神主もインタビューで(冗談かもしれないが)参戦について肯定的な発言をしていたので実際に参戦する可能性も出てきたと感じる。 そもそも東方の商業ゲーム進出や他作品とのコラボに関しては昔からあるし、参戦を嫌うファンの気持ちも分かるがそう目くじらを立てるほどのことではないと思う次第。(参戦するにしても声がつけないでほしいが)、著名な作曲家陣が編曲した東方の楽曲は聞いてみたいしね。 

以上、最初の日記、お終い。